Title: HOPE _ Tsuru
Size: 70×130×50 mm
Material: Water-based resin, paper (laser processing), water-based pigment
Year: 2020
Memories are something that everyone has, such as the toy they loved when they were little, the meal they ate yesterday, the recent incident in their neighborhood, the war in some country they saw on the news this morning, and everything in the world. The existence of an event remains in someone's brain or heart; that is the existence of memory.
Various events can be called memories, but remembering and not forgetting at the same time is certainly the meaning of "memory".
Do you remember the things you played with as a child, the breakfast you ate this morning, the incident on the TV news you saw yesterday, or the deaths in recent wars?
No matter what it is, ``memory'' dies when you forget it. In order not to destroy memory, humans invented ``recording.''
They are paintings like the La Pasiega Cave murals, Egyptian hieroglyphs, Mesopotamian cuneiform, Chinese oracle bone script, and three-dimensional figures such as the Venus of Holle Fels. "Memories" are not forgotten, but remain as proof of their existence, and can be passed on to future generations. However, not all memories are preserved; memories are fragile and dangerous.
There are things that are forgotten and lost even if they are recorded, and there are things that are never even "recorded" in the first place. What is the difference between beings that remain in records and those that do not? What is their importance? Do memories that are waiting to disappear have no value in existence? Even if it is impossible for all memories to remain, I want to create opportunities for remembering and leave traces of the existence of all things as much as possible. I shape decaying memories into things that can be forgotten. Memory has meaning in recording it.
タイトル:HOPE _ Tsuru
サイズ:70×130×50 mm
素材:水性樹脂・紙(レーザー加工)・水性顔料
制作年:2020
記憶とは、すべての人が持つものであり、小さい時好きだったおもちゃ、昨日食べたご飯、最近起きた近所での事件、今朝のニュースで見た何処かの国の戦争、世の中にあるすべての出来事の存在が、誰かしらの脳、または心に残っている、それが記憶の存在である。
様々な出来事が記憶と言えるが、同時に覚えている、忘れていないことこそが、確かに「記憶」として存在している意味と言える。
子供の時遊んだ物を覚えているか、今朝食べた朝食を覚えているか、昨日見たテレビのニュースの事件を覚えているか、最近起きた戦争での死者を覚えているか。
どんなことであろうと、忘れることによって「記憶」は死ぬ。記憶を殺さないために、人類は「記録」することを発明した。
それはラパシエガ洞窟の壁画のような絵であり、エジプトのヒエログリフ、メソポタミアの楔形文字、中国の甲骨文字であり、ホーレ・フェルスのヴィーナスなどの立体でありそれにより、人々が今まで忘れていたはずの「記憶」が忘れられることなく、確かに存在した証として残り、後世へ伝えることが可能となった。だが、すべての記憶が残されるわけではない、記憶は脆く、危うい存在である。
記録をしても忘れ去られ、失ってしまう存在もある、そして、そもそも「記録」すらされない存在もある。記録に残る存在、記録に残らない存在、その差はなんなのか、その重要性とは何か、消滅を待つ記憶には存在価値がないのか。すべての記憶が残ることが不可能でも、思い出すきっかけを作り、可能な限り全てのものが存在した痕跡を残していきたい。私は、朽ちてゆく記憶を、忘れられるものを形作っていく。記憶は、記録することに意味があるのだから。
様々な出来事が記憶と言えるが、同時に覚えている、忘れていないことこそが、確かに「記憶」として存在している意味と言える。
子供の時遊んだ物を覚えているか、今朝食べた朝食を覚えているか、昨日見たテレビのニュースの事件を覚えているか、最近起きた戦争での死者を覚えているか。
どんなことであろうと、忘れることによって「記憶」は死ぬ。記憶を殺さないために、人類は「記録」することを発明した。
それはラパシエガ洞窟の壁画のような絵であり、エジプトのヒエログリフ、メソポタミアの楔形文字、中国の甲骨文字であり、ホーレ・フェルスのヴィーナスなどの立体でありそれにより、人々が今まで忘れていたはずの「記憶」が忘れられることなく、確かに存在した証として残り、後世へ伝えることが可能となった。だが、すべての記憶が残されるわけではない、記憶は脆く、危うい存在である。
記録をしても忘れ去られ、失ってしまう存在もある、そして、そもそも「記録」すらされない存在もある。記録に残る存在、記録に残らない存在、その差はなんなのか、その重要性とは何か、消滅を待つ記憶には存在価値がないのか。すべての記憶が残ることが不可能でも、思い出すきっかけを作り、可能な限り全てのものが存在した痕跡を残していきたい。私は、朽ちてゆく記憶を、忘れられるものを形作っていく。記憶は、記録することに意味があるのだから。